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前橋地方裁判所 昭和30年(行)2号 判決

原告 鈴木正

被告 桐生市

主文

原告の請求を棄却する。

原告の予備的請求につき本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告が桐生市職員の身分を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、なお右請求が理由のないときは予備的請求として、「被告は原告を桐生市職員に採用しなければならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、原告は昭和八年来被告市役所に勤務し、昭和二四年一〇月当時はその税務課整理係の事務を担当する市吏員であつたが、同年一一月二五日被告に対し同年一〇月三一日附をもつて退職を申し出で退職した。しかしながら右退職の申出は次のような理由で効力を有しないものである。即ち、

(一)、被告は昭和二四年一〇月一三日公布施行された桐生市職員定数条例(桐生市条例第二〇号)に基き、同年一一月三〇日までに同条例の定める定数を超えないように市職員を整理することになつたが、同年一〇月三一日右方針に基いて原告を含む一一名の市職員が過員に該るものとなし原告に対して同市職員分限条例第四条第三号により免職処分を行つた。しかし原告はかねてより久しく桐生市職員組合執行委員長として市職員の労働条件の改善その他につき他の職員に率先して努力して来たものであつて、右免職処分は、原告の労働組合のためにする正当な活動を理由とする不利益な待遇として旧労働組合法第一一条に違反する無効のものであると確信し、被告に対して免職の理由を質すと共にその撤回を要求して交渉を重ねた結果、同年一一月二五日、原告と被告との間に、原告は被告が先にした右免職処分を取消し昭和二五年三月末日迄に原告を再び市職員として任用することを停止条件として改めて被告に同年一〇月三一日附に遡らせて退職を申し出でこれを被告が承認するということで話合が成立し、被告はこれに基き右免職処分を取消し、原告は右のような停止条件付で退職願を提出して退職を申し出で退職したのである。ところが被告は昭和二五年三月末日迄に原告を再任用しなかつたので、ここに右退職申出の意思表示は条件が成就せず無効のものとなつた。

(二)、仮に右退職の申出が右のような条件付のものでなかつたとしても、原告は、被告が昭和二五年三月末日迄に原告を再任用する真意があるものと誤信し、かつそのような真意のあることが退職申出の要素となつたのであるから、右退職申出の意思表示は要素に錯誤があるものとして無効である。

(三)、仮にそうでないとしても、右退職申出の意思表示は、被告の代表者である市長前原一治(以下単に被告市長と略称する。)が昭和二四年一一月二二日頃桐生市役所内市長室において原告に対し、真実その意思が無いのにも拘らずあたかも昭和二五年三月末日迄に原告を再任用する意思があるかの如く表明しその旨原告を誤信させたため、原告が右誤信に基いてなしたものであるから詐欺による意思表示として取消し得べきものであるところ、原告は昭和三〇年四月二五日被告に対し右意思表示を取消す旨の通知を発し、右通知は翌二六日に被告に到達したからこれにより右退職申出は取消され、初めから効力を有しないものとなつた。

以上いずれにしても原告の右退職の申出は効力を有しないものであるから、原告は依然として被告桐生市職員たる身分を有するものと言わなければならない。しかるに被告はこれを争うので、本訴においてその確認を求める。

仮りに右請求が容れられない場合予備的請求の原因として、被告は昭和二四年一一月二二日頃、原告に対し原告を昭和二五年三月末日迄に被告市職員として再任用する旨約したのにも拘らず、未だその履行をしていない。よつて原告は被告に対し右約旨に基く履行として、原告を被告市職員に採用すべきことを求める。

と陳述し、

被告の答弁に対し、原告が被告から昭和二四年一〇月三一日附依願免職辞令を受領したこと、及び原告が昭和二四年一一月末頃被告主張の退職金、退職予告手当金を受領したこと、はいずれもこれを認めるが、その余の事実は否認する。原告のなした退職申出は公法上の身分関係の消滅を目的とする意思表示ではあるが、その効力については民法総則の適用又は準用があるものである。なお仮に退職金等の受領が一般に退職申出の効力追認の効果を生ぜしめるものとしても、本件においては原告は退職申出が再任用を条件としてなされたものであつたからこそ退職金等を受領したのであつて、この限りにおいて追認につき異議を留めて受領したのであるから右受領の事実があつたからといつて、原告が右退職申出の効力を追認したものと看做すべきでない。又退職申出の意思表示が詐欺によるものであることを原告が知つたのは昭和二五年五月頃であるから、取消権行使の当時未だ取消権は消滅していなかつた。したがつて被告の仮定抗弁はいずれも理由がない、

と述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、本案前の抗弁として、「本件訴を却下する。」との判決を求め、その理由として本件訴は行政事件訴訟特例法第五条に規定する出訴期間経過後に提起されたものであるから不適法のものであると述べ、本案につき、「原告の請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張の事実中原告が昭和八年来被告市役所に勤務し、昭和二四年一〇月当時は税務課整理係の事務を担当する市吏員であり又同市役所職員組合執行委員長をしていたこと、被告が桐生市職員定数条例に基き過員となつた市職員を整理しようとしたこと、昭和二四年一一月二五日、原告が被告に対し同年一〇月三一日附の退職願を提出して退職を申し出で、被告市役所を退職したこと、及び原告が被告に対し原告主張の日時にその主張の取消の意思表示をしたことはいずれもこれを認めるが、被告が桐生市職員分限条例第四条第三項により原告を免職処分にしたこと、原告と被告との間に原告主張の如き話合が成立したことはすべて否認する。尤も被告市長において原告の退職後の就職につき斡旋することを申し出でたことはあるが原告を再任用することを内容とするような約束、又は意思の表明をしたことは全然ない。仮に原告の右退職の申出が、その主張のように条件付、或は錯誤、又は詐欺による意思表示であつたとしても、被告と原告との間の任免関係は公法上のものであるからこれにつき私法法規である民法総則の適用又は準用はなく、被告が原告の退職申出を承認して依願免職辞令を原告に交付した以上、これによつて公法上退職の効力が生じたものと言わなければならない。仮に右退職申出の意思表示につき民法総則の適用又は準用があり、それが原告主張のように詐欺による意思表示として取消し得べきものであるとしても(一)、原告は昭和二四年一一月末頃、被告の支払つた退職金及び退職予告手当金全部を何等異議を留めずして受領しているので、民法第一二五条の法意に照すときは原告はこのことによつて退職申出の意思表示の効力を追認したものと言うべきであるから、原告の取消権はその時において既に消滅している。(二)、仮にそうでないとしても、原告の右取消権は右退職申出の追認をなし得る時、即ち昭和二五年四月一日より五年を経過した時に時効によつて消滅したものであるところ、原告がその取消の意思表示をしたのは右期間経過後の昭和三〇年四月二五日であるから、右取消はその効力がないと述べた。(立証省略)

理由

まず被告の本案前の抗弁について判断する。

被告は、本件訴が行政事件訴訟特例法第五条に規定する出訴期間経過後に提起されたものであるから不適法であると主張するが、同条に定める出訴期間の制限は、同法第二条に規定された行政庁の違法な処分の取消、又は変更を求める訴(いわゆる抗告訴訟)についてのみ適用されるものであるところ、本件訴はいずれも被告のなした免職処分自体の取消、又は変更を求めるものでないことが明らかであるから、その提起については同法第五条の適用はなく、したがつて被告の右抗弁は理由がない。

よつて進んで本案について判断する。

原告が昭和八年来被告市役所に勤務し、昭和二四年一〇月当時は税務課整理係の事務を担当する市吏員であつたこと、被告が桐生市職員定数条例に基き過員となつた市職員を整理しようとしたこと、及び原告が同年一一月二五日に同年一〇月三一日附の退職願を被告に提出して退職を申し出で、同市役所を退職したことはいずれも当事者間に争いがない。

原告は、右退職の申出は請求原因記載の(一)乃至(三)の理由により無効であるから原告は依然被告市吏員の身分を有するものであると主張するので、

一、先ず右(一)の、右退職申出は被告が昭和二五年三月末日迄に原告を再び被告市職員として任用することを停止条件としてなしたものであるところ、被告は原告を再任用しなかつたから条件不成就により無効となつたとの点につき判断するのに、証人大原浜雄、同大和与一、同丹後吉郎、同江原昌平、同渡辺一二三、同尾道久数の各証言、並びに原告本人及び被告代表者前原一治に対する各本人訊問の結果(但し丹後、渡辺、江原各証人の証言、及び原告本人訊問の結果のうち後記措信しない部分はこれを除く。)を綜合すると、被告市においては前記桐生市職員定数条例に基き過員となつた市職員を整理するということで、昭和二四年一〇月三一日被告市長において右整理対象者の一人であり当時被告市職員組合執行委員長であつた(この後の点は当事者間に争いがない。)原告を市長室へ呼び寄せ、右条例により過員となつた旨を告げて原告に退職方を勧告したところ、原告はこれを拒否したので、同市長はかねて用意してあつた原告に対する免職辞令を原告に交付しようとしたが、原告が免職の理由の明らかでないことを主張して市長を詰問したため押問答となり、結局原告は右辞令を受け取らずに市長室を退去し、そしてこのことについて、原告は右同日自分と同様免職辞令を交付されようとした他三名の免職をもあわせて、これら免職がいわゆる不公正労働行為にあたるものであるとの考の下に右免職辞令の撤回を要求すべく桐生市職員組合の運動として原告ほか三名の免職反対闘争を開始する一方、旧知の間柄で労働運動を通じて親交のあつた自治労協副委員長の江原昌平に対しても応援を求めその対策につき相談したところ、総同盟中央執行委員の尾道久数、国鉄労働組合役員大和与一の両名も亦労働運動を通じて原告と親しかつたところから右事実を知つて原告に力をかすことになり、ここに江原、尾道、大和の三名が、前記職員組合の反対闘争とは別に、第一次的には原告に対する免職辞令を撤回させることを中心として個人的に原告の復職につき斡旋援助することとなり、当時これらの者達が各別に或は共同で数回に亘つて被告市長と折衝を重ねたがその努力にも拘らず、免職辞令の撤回については、被告市長の態度極めて強硬で絶対にこれに応じないことが明瞭となつたので、原告側としても相当後退した線で話合をする外ないこととなつたところその後昭和二四年一一月二二日頃被告市長室において、右江原等三名が原告をも交えて被告市長と会見し、最後的な交渉を行つた際、被告市長から「免職辞令を撤回することはどうしてもできない。しかし原告も生活に困るだろうから被告市長としても原告の他の職場への就職斡旋にはできるだけ努力しよう。それには被告市の公会堂を建設するための準備委員会が来年三月頃までにできることになつて居るから原告にそこへ入つてもらい、将来公会堂が完成したときはその管理者になつてもらうことも一案として考えられる。」旨の申出がなされ、そして当時右公会堂の建設は各方面から強く要望され、被告市長もその建設に熱意をもつていた等のことからその建設実現の可能性が大で、したがつて原告のこの方面への就職も確実視されたので、右江原等三名は勿論原告においても、この辺で話合をつけるのが適当と考え、そこで大和から改めて被告市長に対し、原告を右仕事に採用した場合、原告の現在の給料を下廻らないように取計らつてくれるかどうかについて念を押しその点についても略々その諒承を得たばかりでなく、原告の就職については誠意をもつて努力する旨の言明を得たので、こゝに原告及び江原等三名は被告市長の右言明を信頼して右の線で話を取り決め闘争を打切ることとなり、その結果原告において前記退職願を被告に提出して退職を申し出たことを認めることができるが、右認定の事実以上に出でて、原告の主張するが如く、被告市長が原告を被告市の職員として再任用する意思を表明し原告はその再任用されることを条件として退職申出をしたものであるとの事実については、これに符合する前記証人大原浜雄、同渡辺一二三、同丹後吉郎、同江原昌平の証言、ならびに原告本人訊問の際の供述部分は、後記証人大和与一の各証言及び被告代表者本人訊問の結果に照らし当裁判所の措信しないところであり他に亦これを認めるに足りる証拠が無い。却つて証人大和与一の証言及び被告代表者本人訊問の結果によると、前記話合の際被告市長において、原告を被告市の職員に再任用することを内容とする約束又は意思の表明をなすところまでには至らなかつたこと、したがつて原告の退職申出も原告の主張するような厳格な意味での再任用を条件としたものでなかつたことを認めるに十分である。そうだとすると原告の右退職申出の意思表示はその主張のような停止条件付でなされたものではないから、原告の右(一)の主張は爾余の判断をまつまでもなく理由のないこと自ら明白である。

二、次に右(二)、の原告は、被告が昭和二五年三月末日迄に原告を再任用する真意があるものと誤信し且つそのような真意のあることが退職申出の要素となつたのであるから、右退職申出は要素に錯誤のある無効の意思表示であるとの点について考察するのに、前記一で認定した原告が右退職申出をなすに至つた経緯から見ると、右の退職申出は前示のとおり被告市長が原告の就職斡旋に努力することを約し、且つその際、当時各方面からその建設が要望されていた市の公会堂建設のための準備委員会が昭和二五年三月頃迄にできることになつていたことから市長が原告をそこに入れ、完成の暁にはその管理者にしてもよいとの趣旨の話を持ち出し、事実当時においてはその実現が殆んど確実視されたために被告市長の右の言を信頼して就職の見込がついたものとして退職申出をしたものではあるが、右市長の話の公会堂関係への就職はあくまでも公会堂建設計画の実施を前提とした一つの案に過ぎず原告を必ず被告市吏員に再任用するということではなかつたものであり、このことについては、当時原告にもその点の認識があつたものと推測されるので、原告において被告が原告を再任用する真意ありと誤信したとは到底認め難く、他にこれを認めるに足る証拠もない。したがつて原告の(二)の主張も亦理由がない。

三、更に右(三)の、右退職申出は被告市長が真実その意思がないのにも拘らずあたかも昭和二五年三月末日迄に原告を再任用する意思があるかの如く表明しその旨原告を誤信させたため、原告が右誤信に基いてなしたものであるから詐欺による意思表示として取り消し得べきものであるとの主張につき判断するのに、原告が昭和二四年一〇月三一日附の依願免職辞令を右退職申出の当時被告から受領したことは当事者間に争いがなく、右依願免職の辞令が原告の右退職申出に基いて出されたものであることも弁論の全趣旨に照らして明らかであるところ、被告と原告との任免関係は公法上のものと見るべきであるから、原告のなした退職申出に基いて被告が一旦依願免職の辞令を交付した以上原告の退職の効力にはいわゆる公定力を生じ、たといその原因となつた原告の意思表示に瑕疵があつたとしても、それが当然無効のものでない限り右効力はこれによつて妨げられることなく、原告は最早詐欺による意思表示であることを理由に取消権を行使することはできないものと言うべきである。したがつて右退職申出が取消し得べき意思表示であることを前提とする原告の右主張は爾余の判断をするまでもなく理由がない。

以上述べた如く、原告のなした退職申出が無効であるとの原告の主張はいずれもこれを容れることができないので、右退職申出に基く被告の依願免職辞令の交付により、原告は被告市役所を退職し、被告市吏員としての身分を喪失したものと言わなければならない。よつて原告が桐生市職員の身分を有することの確認を求める原告の本訴請求はその理由がないからこれを棄却すべきものとする。

そこで次に原告の予備的請求について判断する。

原告は、被告が原告を昭和二五年三月末日迄に被告市職員として再任用することを約したのにも拘らず、それを履行しないから右約旨に基いて原告を被告市職員に採用すべきことを請求するというのであるが、前説示のとおり被告と原告との任免関係は公法上のものであるから右のような請求は行政庁である被告に対し公法上の任命行為をなすべき旨の裁判を求めるものであり、たとい被告が原告を再任用する旨約していたとしても被告が現実に公法上の任命行為をなすかどうかは当該行政庁の専権に属するものであつて、それをなすべきことを命ずる裁判を求めることは現行法制上許されないものと解すべきであるから、右予備的請求の本件訴は爾余の判断をするまでもなく不適法として却下すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 細井淳三 石田穰一)

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